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介護士の心構え「死を看取るという事」死は特別な事ではない

「死」が特別なものになってしまった
誤解のないように述べておきますが、死は特別なものです。いくら、昔の様に高齢のおばあちゃんやおじいちゃんと同居し、更にひいおじいちゃんなどと暮らして死を間近にみてきたとしても、昨日までそこに存在した人間がいなくなってしまうのですから、それは特別な事で当たり前です。では、なぜ敢えて「特別なものになった」という見出しなのでしょうか。それは、自宅で死を迎える事が少なくなった事に加え、死に慣れていない世代が第三者の死を看取らなければならない現状において、『これで良かったのだろうか…』という戸惑いや不安、そして自問がつきまとうからです。つまり、「どうやって尊厳を保った死を迎える事が出来るか」を考えなければならなくなったのですね。この点、死が当たり前の時にはあまりそこまで意識はしなかったでしょう。もっとも、家族が自宅で看取る事の方が多かったのですから、どうやったら尊厳を…なんて考えない事の方がきっと一般的だったでしょう。

尊厳を保つ「死」
なぜ尊厳を保たなければならないのでしょうか。そもそも尊厳とは何でしょうか。「尊くおごそかなこと」「気高く、犯しがたいこと」とあります。つまり尊くて、おごそかで、気高く、近寄りがたい様な死、という事になります。言葉にしてもよく解りませんね。しかし少なくとも、この様な考え方が生まれた背景には、逆に、その様な死を迎える事が出来なかった実例があるという事を忘れてはなりません。言葉にするのは難しいですが簡単に言えば、その人がその人のままで死んでいくこと、具合が悪くなった施設の中の一人の高齢者、ではなくて、○○○さんのままで具合が悪くなり、○○○さんのままで亡くなっていく事です。余計難しくなりましたか?では具体的にみてみましょう。

最期まで「パン」
わたしは、米飯派です。でも最近のお年寄りは、朝は必ずパンを食べるという方も多くいらっしゃいます。フレンチトーストにスクランブルエッグ、ウインナーにレタスとトマト、そしてコーンスープと言うような洋食系のおじいちゃん達が結構いらっしゃるんですね。一般的に考えると、女性の高齢者の方がこの様な好みだと思いませんか?わたしがみてきた限り、男性の方の方が多かったのは驚きでした。さて、この方の具合が悪くなって食事が飲み込めなくなってきたとしましょう。特別な疾患によるものじゃない場合もあれば、ガンの末期という場合もありますが、いずれにしても医師の診察において余後はあまりよくないと予測されました。看取りの状態ですね。この様な場合、具合が悪くなったら、或いは今まで食べていたものが食べられなくなったら即、食形態の変更を行ってきた方や施設もあるでしょう。しかし、食形態を変えたからと言ってその方の食事量は改善されません。何故でしょうか。「具合が悪くなった入所者の中の一人」となってしまったからです。この方が、その方のまま亡くなるには、最期までパンを食べる必要がありました。もちろん、本人が別の物を望むのならそれで構わないのですが、施設のスタッフ側の配慮だけで「なるべく食べやすいものを…」と考えたとしても、その方にとっては最期まで「自分の朝食はパン」だったのかもしれません。これが出来た時、その方のままで亡くなるという事が多少は実現するのではないでしょうか。

「特別なもの」ではない
こう考えると、決して「死」は特別なものではなく、それまでその方が生きてきた生活を引きずったまま亡くなっていく事が出来れば良いのだという事になります。これを支えるのが、プロの介護士として携わる「看取り」だとも言えるでしょう。