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介護士の心構え「死を看取るという事」核家族化による変化

今、自殺であったり殺人であったり、人間の命を軽く扱ってしまう様な話題でいっぱいの世の中ですが、介護の仕事に携わる人は、常に「死」を意識せざるを得ないと言えます。そして、誰でも必ず迎える死に対し深い敬意を表すとともに、亡くなってから後悔しても遅いので、生きておられるうちに出来る限りの事をしたい、と思う様になるでしょう。ですから、決して命を軽くみてはいけないという意識も芽生えてきますが、実は「死」に対して慣れてしまうという反面も持ち合わせている、難しい仕事でもあります。国の方針により、平成18年度の改正から施設で看取りケアを行った際の評価が介護報酬でも位置づけられ、改正を重ねるにつれ、対象施設の範囲はどんどん広がっています。それほど、病院ではなくて施設或いは自宅で看取るという事に対し、おもきがおかれ始めているのです。

核家族になって減ったこと・増えたこと
今は、核家族が当たり前となっていて、義理関係も含めて親と同居しているケースは少なくなっています。しかしこれは新しい現象ではなく、大正9年頃には既に国民の半数が核家族化していたという統計もあります。昭和50年頃がピークで、それ以降は横ばいか徐々に下がっているとしても、未だに国民の6割程度は核家族と言われています。核家族化して減った事は沢山あるでしょうし、逆に増えた事もあるでしょう。若い夫婦に子供が出来たとしても、親と同居していないので保育園や幼稚園に預ける事が当たり前となりました。というか、基本的には親が働いている家庭の子供が入るのが保育園、という概念がまだあります。親と同居していれば、子供夫婦が平日の日中に家に居ない時でも、料理・洗濯・掃除などの家事は親にしてもらえました。しかし子供側とすれば姑や舅に気を遣い、結婚生活を楽しむ事が出来ない、というデメリットもありました。では、介護という観点からみて、減ったこととは何でしょうか。それは「老いる」という事が日常的ではなくなったのです。

「老いる」ということと「死」
同居していれば、自分の親、孫からすればおばあちゃんやおじいちゃんが、段々と以前出来ていた事が出来なくなっていく事を目の当たりにしますから、人間が年をとる、つまり老いるというのはどういう事かという事が生活を通して自然と解ります。また身体機能面だけではなく、記憶や精神的な面でも老いていく事を目にします。また、昔は医療が現代の様に発達していませんから、何かの病気にかかった時に、主治医と呼ばれる地域の開業医にかかるか、それすらも出来なければ自宅に往診に来てくれても、病気の原因が分からず、治療が出来ずに最悪の場合は死に至る事も普通でした。「自分の家の畳の上で大往生」というやつです。まぁ、病気の場合は大往生というのとは違うのでしょうが、入院出来る大きな病院が近くに無いので、自宅で最期を迎える事が当たり前だったのですね。ですから、老いる事を理解するだけでなく、人間の死に対しても、経験し、理解していけたのです。